真実の光

その日のセッショは何かを予感させるものがありました。
セッションのはじめ、カタールが静かに私の肩に手を置いたとき、ファラオの黄金のマスクの前で泣き叫ぶひとりの男の子が見えました。それは、まぎれもなく私でした。カタールの手に静かにその過去生が吸い込まれていき、それに助けられるように、その子の一生をものすごいスピードで思い出していきました。時間にして30秒もなかったと思います。

それが終わった後、暗闇の中に閉じ込められている自分の存在に気づきました。それは、本当に長い間そこに閉じ込められていたんだということに気づきました。しばらくは、それと共にじっとしていました。

そして突然、畏怖の念が沸き起こりました。それは、初めてフーマンの光の強さを実際に感じ、「あなたの光が強すぎて怖いです。」と、畏怖の念からフーマンに告白したときと同じ感覚でした。何か大きな扉が開かれる、そんな予感のするセッションの始まりでした。

その後も、カタールが体に触れる度にいろんなことを思い出していきました。そして、セッション中に初めて未来にも行きました。そこは今いる場所よりもずっと光の多い場所でした。そうしているうちに気づくと、自分が源である光そのものである場所にいることに気づきました。そして、一瞬のうちに理解が起こりました。
すべてのことは、この光をもとに発しているホログラムにすぎないと。
今までいろいろ思い出してきた過去生も、自分だと思っていたものも、そして聖なるものさえも(聖なるものという考え方自体が二元性を作り出しているという意味で)、すべて幻だったということをはっきりと認識したのです。と、同時にマインドがゆるみ、絵の具が雨で流れるよう現実が流れ落ちていきました。私の中の何かがとてつもなくくつろぎました。
と同時に、何か取り返しのつかないことを思い出してしまったような気にもなりました。
今までにも、『現実と思っているすべてのものが幻想だった』という一瞥を何度も体験していましたが、今回のように、まるで物理学の講義を受けているように、それを自明なこととして認識したのは始めてでした。

私は、小さい頃から体が硬く、体を動かすこと、運動することを避ける傾向にありました。
今思えば、私は何かを思い出すのが怖くて、今まで自分の体を硬く保ってきたのだなと思います。そして、私が思い出すことを一番恐れていたのは、このことだったのだと、今回のセッションで気づいたのです。

カタールのセッションを今まで何度も受けてきましたが、その度にいろんなことを思い出してきました。そしてその度に、本当の自分ではないいろんなものを手放してきました。そして今回、『すべてのものは幻想である』というはっきりとした理解を得ることができました。これは、カタールが私の欠けているところ、癒されていない部分に焦点を当てるのではなく、私の光そのものを真っ直ぐに見つめ、セッションをし続けてくれていたからだと、今はっきりとそう言いきれます。そのおかげで、自分でないものを本当に楽に手放していくことができました。そして、何が真実であるかということにも気づくことができました。